風間純子のジョグジャカルタ報告

2009年3月20日

 ジョグジャカルタに到着し、先ほどジョハンさんと面会。2時間ほど話をしました。
まず8月に神戸で開催予定のマンディ・サマサマBの概要について説明し、ジョグジャサイドからもどなたか1人を選び派遣してほしい旨を伝えたところ、ジョハンさんからはおそらくForum7のメンバーはあまりに忙しすぎるので派遣できないこと、そして美術家でニティプラヤン村で活動を展開しているオンさんが適任ではないか、との意見が出されました。滞在中にオンさんに直接お会いし、お話ができるとよいと思います。

 ジョハンさんからは、先日行われた創造的音楽フェスティバルの一環として行われたワークショップの内容および今後のスケジュールについての情報を得ました。次の通りです。

@ 3月15日に行われたワークショップには、14の小学校から14の教師が参加。これらの学校は施設・設備・楽器などの整備されていない「貧しい」学校に分類されるものであり、今週以降近日中に更に「豊かな」それに分類される学校とその教師をほぼ同数選択し、同様のワークショップを行う予定である。これらの学校の選択にあたっては音楽に詳しいアシスタントを用い、ジョグジャカルタ特別州全体からランダム・サンプリングの方法で行う。
A 1校あたりの参加生徒数は15名以上で3年生〜4年生(10歳から11歳)とする。よって、最終的には参加生徒数1000人が目標となる。
B フェスティバルの賞品スポンサーとして現在決定しているのは、書店(出版社?)から読み物や教科書。ISIからトロフィー。そして未確定ではあるが銀行から預金通帳の形態による賞金である。これは、入賞したグループのすべての子供と教師に与えられる。
C 審査の基準は:音楽や身体表現がどのように用いられているか、音素材に何をどのように用いているか、リズムやディナーミクをどのように用いているか、などであり、表現方法は特に問わない。(演劇、歌など、様々な表現が可能)
D 1作品は最低10分以上。(途中経過を観察し、状況次第で変更の可能性あり)
E 今後のスケジュールは:
5月末(1カ月後)に第2回目のワークショップを行い、途中経過を観察する。創作活動に際して、何らかの支障・困難が生じていればアドバイスをするほか、作品制作にあたっての条件の変更も行う。
  6月21日に予選を行い、7グループに絞る。
  6月28日に本選フェスティバルが開催され、受賞グループが確定する。

 スケジュールおよび内容の詳細は以上です。震災とフェスティバルとの関係については聞きそびれてしまいました・・・ただ、話の途中に地震災害の復興は非常に良好な状態にあるという内容の発言があったことを記憶しています。今回のフェスティバルは、震災復興とはさほど大きな関わりがないように感じられました。

2009年3月26日


 あれからジョハンさんが何度も連絡を取ってくださり、ようやく昨日の夕方、ニティプラヤン村にてオンさんに面会することができました。彼は、4月にジャカルタとジョグジャで公演予定のTeater Gandrikの芝居で美術部門を担当しており、その準備で大変忙しいのだそうです。

 去年のMandi Seni Sama-sama参加メンバーから聞いていた通り、オンさんは大変魅力的な方ですね。そして、ニティプラヤン村は黄金の稲穂が頭を垂れる素晴らしく気持ちの良い村でした。オンさんの案内でついでに見学させていただいたプレイスクール「自然の子ども学校」も大変興味深かったです。

 ジョハンさんにも最初の30分ほど同席していただいた上でオンさんに神戸で予定されているマンディ・サマサマの概要を伝えました。また、6月末に行われる予定の創造的音楽祭に日本から数名参加する予定であることも伝えました。非常に楽しみに待っているとのことです。

 さらにジョハンさんの推薦に従い、創造的音楽祭の報告とファシリテーターとしての神戸でのオンさんの活躍が可能であるかどうか尋ねました。今のところまだ確実なお返事はありませんが、スケジュールの調整をしてみるとのことです。

 もしも来日可能の場合、オンさんからワークショップおよび公演の場所として「自然の豊かな田園風景の広がる地域、アウトドア」が望ましいとの希望が出されました。

 さらに、「震災とイベントの関連性」についてこちらからお尋ねしました。(残念ながらジョハンさんは別のミーティングがあり、退席)すると、やはりオンさんも「負の記憶は忘れるべきものであること」また「震災の復興はすでになされている」と考えているようです。その後日本人の災害に対する記憶およびメンタリティとジャワ人のそれの違いについて個人的な意見交換をしましたが、その詳細は省くとして、オンさんからは震災との関連性から次のような社会的文化的変容がみられるとの指摘がありました。

1)震災は忘れるべきものであるが、確かに震災が起こったという事実はあり、それによって村および地域社会の人々のメンタリティはずいぶん変化したように思われる。
2)同じ感情を共有したことにより、地域社会の人々はより親密になり、運命共同体的な考え方が生まれ、団結するようになった。
3)音楽の面ではガムランなどの楽器を失ったことにより、その他の代替物を利用するなど新しい創造性が生まれている。

 こういったポイントを基本概念に置いた上でならば、創造的音楽祭もマンディ・サマサマもかなり大きな枠で括れるのではないかと私は思いますが、いかがでしょう。

 会談の報告は以上です。

 今回の2回にわたる会談およびジョグジャカルタ滞在で私が感じたことを次に付け加えます。

1)個人的な印象で申し訳ないのですが、どうもForum7のメンバーは大変忙しそうです。創造的音楽性への参加や神戸でのマンディ・サマサマの行事へのコミットメントがどれだけ期待できるでしょうか・・・・

2)ニティプラヤン村は、震災の際にはさほどひどい被害を受けておらず、むしろ甚大な被害を受けた地域への支援をする側にいたということでした。今回私は別の取材目的でバントゥルの村の芸能集団を訪問したのですが、こちらは大変大きな被害を被った地域です。その方々から聞く震災時の話の内容と比較すると、ジョグジャの中でも被災の規模により震災に対する記憶には温度差があるように感じられました。

3)私が別件で訪問したA村では、私の訪問日がちょうど震災で亡くなった方たちの1000日法要の日にあたっており、その日の夕方にスラマタン儀礼がおこなわれるとのことでした。ただ、甚大な被害をこうむり、多数の死者を出した地域においても、震災の記憶は忘れられるべきものかあるいは「笑い」に作り替えてしまうかのどちらかの傾向が強いと感じました。

4)別のB村では、震災の際に村のアマチュア芸能集団の練習場が崩壊したのですが、ようやく最近新しい練習場(プンドポ)が再建され、そのお祝いをしていました。その時のメンバーに対するインタビューで、多くの人々は次のように語っていました。;震災以前も震災後も、日々の労働ばかりではくたびれるばかり。だから私たちは「芸能」することに常に飢えているし、「芸能」することやそれを通してみんなが集まり、何かをすること自体が楽しみである。また、震災後も、芸能活動を通して団結し、楽しみを見出してきた。

 このあたりのジャワの人々の震災に対する記憶やスタンスを考えると、高野山ミーティングの中で話題に上がった新たなる「コモンズ」の創造とか、「震災」をあまり表面には出さないが「震災」とは切り離れずに活動を続けてゆくといったポリシー(私の記憶違いだったらごめんなさい)の部分でジャワサイドとの共通認識が得られるのではないでしょうか?

 実際にこの目で見て、話を聞くことによって、色々な気づきがあるものですね。ともあれ、風間の独り言として今後の参考にしていただければ幸いです。

 では、29日こちらを発って帰国の途に着きます。
 みなさんごきげんよう。

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プロジェクトメンバーによる他のジョグジャカルタ訪問報告

釆女直子:ジョクジャリポート
 7月9日〜13日 滞在
(市民メディア・インターネット新聞JANJANより)
佐久間新:ジョグジャ滞在記
7月14日〜18日滞在
                (プジョクスマン支援の会プログ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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