京都新聞掲載記事

ジャワ島地震復興チャリティー府民ガムランコンサート
 日時:200年9月23日(土)
=======

 昨年一一月に、京都府とインドネシアのジョクジャカルタ州の友好府州締結二〇周年を祝って、記念式典やシンポジウム、バティック展などが開催された。その際に、ガムラン楽器一式が、州知事(ハメンクブウォノ一〇世)より府に寄贈された。青銅製のゴング類でできた新調まもないガムランはきらきらと輝き、委託先の立命館大学のホールで豊かな響きを披露した。それから半年後に、その故郷で恐ろしい災害が起こるとは全く予想もされずに。
 五月二七日の早朝に電話がかかってきた。「ジョクジャカルタに大きな地震が起こったらしいですよ」と。しかし、テレビを見ても、しばらく何のニュースも入ってこない。一足はやく、インターネットのブログには、多くの人々の書き込みが始まっていた。次々と映像がアップされる。私は息をのんだ。とんでもないことが起こっている。もちろん、神戸のことを思い出した。電話をかけても、つながらない。
 結局、多くの友人は無事であったが、死者は六〇〇〇人近く、また家を失った世帯は二〇万を超えた。後者に至っては、スマトラ沖の津波災害を凌いでいる。世界中から続々と緊急の支援物資が送られ、医療団も入ってきた。
 ふとブログで、瓦礫のなかから引きずり出されるゴングの写真が目に入った。直感的に、私にできることは、このゴングを救うことではないかと思った。すぐさま「ガムランを救え」という組織を立ち上げ、瓦礫の中に埋もれている楽器や衣裳を修繕し、ガムランの響きを一刻も早く取り戻す手助けができたらと、募金の呼びかけを始めたのである。
 すると、少なからぬ人々から、なんと悠長なことだ、いまは音楽じゃなく、水や薬、毛布やテント、すなわち人道支援が急務ではないかと諫められた。もっともなことだ。
 そして、現地に入ったのが震災の三週間後であった。市内は意外にも平静であったが、周辺のバントゥル、イモギリ、グヌン・キドゥル、クラテンといった地域では、集落ごと壊滅しているケースが少なくなかった。そこは、バティック、絹、影絵人形、陶器などの工芸の主要産地であり、またガムランの演奏家を最も多く輩出している地である。集落の崩壊は、繊細にして芳醇なジャワの伝統文化の消失を意味しているのである。
 そんな瓦礫のなかで、私は大切なものに出会った。友人のHさんは音楽家だが、家は全壊した。ところが、彼はすぐさまテントを張り、近所の子供たちを集めて、音楽の練習を始めたのである。家に置いてあった楽器は全て壊れたから、フライパンやコップ、ペットボトルが楽器だ。奇妙なガムラン音楽が奏でられている。
 音楽家のそんな活動が、草原に火を放ったように、この地域にものすごい勢いで広がっていた。ほとんどが被災した子供たちのためのプロジェクトだ。ちょうど6月から7月にかけて、ジョクジャカルタ芸術祭が開催される予定であった。ほとんどのイベントが中止となるなかで、子供向けの公演だけは残された。なぜなのかは聞き損ねたが、大人より子供を優先するという。この社会はとても明快だ。
 彼らは音楽やダンスの力を知っているのだろう。人々を励まし、慰め、楽しませるための芸術がフル回転で働いている。私はそれを見て、音楽は心の薬になっているのだと思った。雨露をしのぐだけではなく、音楽が戻ってきてこそ、彼らの日常生活は回復する。だから、音楽を届けるのもまた人道支援であると私はようやく確信できたのである。
 今週、そのジョクジャカルタから舞踊家がやってきて、京都で舞う。使われるのは寄贈されたガムランだ。みなさんにその芸術の深さを心ゆくまで味わっていただきながら、遠くの災害に思いを馳せていただければと思う。(文:中川真)

活動報告もくじへ
掲載記事もくじへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system