プログラムノート

中川真

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 まず初めに、本日、私たちの趣旨に賛同して来場いただいたパフォーマー、アーティスト、聴衆のみなさんに感謝いたします。また、長い時間をかけて準備などに取り組んできたガムランエイドのメンバーのみなさんも、ご苦労さまでした。そして、本日は来られないものの、様々な形で支援していただいている多くの方々にも感謝したいと思います。

「あれから3年」というふうにチラシに記しましたが、本日のイベントを主催しているガムランエイド(ガムランを救え!)は、2006年5月27日に襲ったジャワ島中部大地震に際して、その文化復興の側面からジャワの人々を支援しようという趣旨で、3年間の活動を続けてきました。当初は、楽器や衣装の損傷、練習場の倒壊、活動機会の激減に対処すべく、20回近くのチャリティイベントを開いて経済的な支援を行いました。ちょうど1年目の2007年5月27日には神戸のC.A.P. ハウスにて、丸一日のイベントmandi samasama Vol.1を「私たちは、忘れていない」という趣旨のもとで行いました。遠くは東京から自腹で多くのアーティストが神戸に駆けつけ、またインドネシアからもアーティストがやってきて、音楽や美術を通した交流やシンポジウムを行いました。ガムランエイドという名がついているものの、かかわっている人々はガムラン関係者を大きく超え、多彩な人々の集まりであるところに、私たちの団体の大きな特徴があるでしょう。

 2年目の2008年5月には、国際交流基金の助成を得て、約15名のメンバーが被災地に赴き、いくつかの被災した村を訪れて、その様子を知るとともに村の人々と交流しました。私たちの多くは音楽家や美術家ですので、交流は自然とコンサートやワークショップといった形となります。そのツアーのハイライトが、今回お招きしたオン・ハリ・ワフユーさんの村、ニティプラヤンでのコンサートでした。ニティプラヤン村そのものは大きな被害を受けなかったのですが、周辺の村々の被害はひどく、オンさんたちも随分復興支援に尽力したとのことです。インドネシアにはゴトンロヨン(相互扶助)の精神が息づいていて、誰かが困っていたら必ず助けの手が差し伸べられます。もちろん、3年前の地震では、ゴトンロヨンの精神だけでは到底対応が不可能なほどの打撃であったため、さらに国の内外からの支援が必要でした。そのうちの小さな役割を日本のガムランエイドも担ったのです。

 さて、オンさんのニティプラヤン村では、ガムランや脱穀太鼓(木製)の女性グループとの交流、子どもたちへの美術ワークショップなどを計画し、それを始めたところ、いつの間にか村の人たちが続々集まってきて、様々な手伝いをしてくれています。オンさんは村のアートディレクターなんですが、王様みたいに仕切るのではなく、村の人々が半ば勝手に自分のできることを色々やっていくという雰囲気で1日目が過ぎました。そして翌日にはワークショップなどのささやかな発表会をしようと思っていたら、ここからがオンさんの真骨頂。あれよあれよという間に、色んなパフォーマーたちに連絡して、夜にはすごいプログラムをつくりあげていました。夕方から、村人がわらわらとアートセンターに集まり、これから始まるイベントを楽しみ顔で待っています。まるでお祭りのようです。昨日にはまだノーアイデアだったのに、翌日の夜には楽しい祭に変わっている。オンさんのみならず、コミュニティの皆さんの力には本当に驚きました。

 オンさんには、私たちのパートナーグループである地元の「フォーラム7」という支援組織に加わってもらいこととしました。そして、復興支援の3年目のプログラムがジョグジャカルタで始まりまったのです。それが、2009年の2月です。

 地震から3年目となると、確かに衣食住などの基本インフラは回復しています。ガムランなどの芸能もぼちぼち始まっています。ですので、支援の焦点が少しぼやけてくるのも事実です。・・というか、2008年の現地交流のときに気づいたのですが、「支援する」というスタンスそのものが、やや問題なのではないかと思い始めました。被災地の人々が常に「支援される」という意識をもつこともまた、問題かもしれないという発言が、当事者からも聞こえてきました。つまり、「支援する」「支援される」という関係に固定化されるのではなく、一緒に何かに取り組むことが大切で、今やそんな時期に至っているのではないかという認識を相互で確かめたのでした。私たちは何を「共有(シェア)」できるのか、という問いかけが、3年目の出発点となったのです。

 被災からは、まずまず復興してきました。しかし、社会のなかにまだ解決していない問題が多くある。そういったことに、音楽家として、美術家として丁寧に向かい合っていこうではないか、というのが共通の認識となりました。そのなかから、ジャワでは子どもの音楽教育という問題が浮かび上がってきました。フォーラム7の代表であるジョハンさんがよく言うのですが、ジャワの子どもたちの音楽教育は、あまりにも西洋音楽中心である、しかも、貧しい小学校だったら楽器も足りないから、そのカリキュラムすら達成できない。彼は、ジャワの子ども達は、自らの音楽的伝統や感性に従いながら、日常の雑器や道具、簡易な楽器を使って、創造的な音楽を作っていくのを学ぶことが大切なのではないかと考えました。

 この趣旨に賛同する2人の才能ある音楽家の協力を得て、ジョグジャカルタ南部のバントゥル県の小学校の音楽の先生にワークショップを行うところから始めて、子ども達の創造性を育む「創造音楽祭」というプロジェクトが立ち上がりました。詳しいことはオンさんから報告していただきますが、3年計画のこの1年目は、2009年6月28日にファイナルコンテストをやって、無事終了しました。このファイナルには、私のほかに、エイドメンバーの山崎晃男さん、諏訪晃一さんが視察しました。

 ジョハンさんの意図は、単に新しい音楽表現ができるようになることではなく、「創造性」が音楽だけではなく、生きていくこと、生活していくことのあらゆる局面で活かされていくことを望んでいるのです。つまり、社会を停滞させることなく、創
造的に変革していくこと、これがバントゥルの村々で必要だと考えているのです。これもまた、震災が私たちに与えた新たな課題、テーマなのではないでしょうか。そして、それは日本でもまた十分、適用可能な考え方であると思います。

 支援から交流、そして創造へと、私たちの活動は、羅針盤はないものの、何か意味ある方向へと動いているような気がします。本日お集まりいただいた皆さんには、少しでもそういう雰囲気を感じていただきましたら、ありがたく思います。また、今後、一緒にこんなことをやっていきたいと思われましたら、是非このガムランエイドのメンバーになってください。

 

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