「GEMPA 地震」の初演に寄せて

ラハルジョ(作曲家)

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 「2006年5月27日のジャワ島中部地震」は、ジョグジャカルタの日常生活に大きな変化をもたらしました。 ジョグジャカルタの町は、地震によって大きく引き裂かれました。その美しい社会に暮らす人々は、深い悲しみに暮れましたが、閉ざされた王国(ジャグジャ カルタ王国)の外へと心を開き、助けを求めました。町は、世界中から同情と注目を集めました。この国の怠慢な政府も、数千の民衆の死を嘆く叫びを聞き、 苦しんでいる民衆に注意を向けざるをえませんでした。

 地震による53秒間の激しい振動は、家屋や役所などの建物を倒壊させ、中にいる人を生き埋めにしただけではなく、最も強いはずの人々の心をも崩壊させ てしまったのです。そのような状況で誰を責めることができるでしょう。路地や通りには、ほこりだらけの遺体が放置されました。不幸な遺体は、一部が損傷 したり、もっと悲惨な遺体は、その一部分だけが散乱していました。
 
 ジョグジャが嘆いている。配偶者を失った人、将来の生活の支えを失った老人や子供たちの嘆きが響いている。
 ジョグジャが嘆いている。どうなるか分からない状況。もう地震はやって来ないのか、それさえも分からない。
 
 涙が乾くよりも早く、人々の口から口へと、海岸から町へと、津波が来るというデマが駆け抜けました。行き先を知らない人々があちらこちらで溢れかえっ ています。その間、遺体は置き去りにされました。地面に寝かされたままにされたり、津波が去った後に見つけられるようにと、木に括りつけられたりしまし た。田んぼで鳥を驚かせるためでなく、本物の人間がかかしのようになったのでした。それは、魂を失った人間の仕業のようでした。怠慢な政府でさえも、民 衆の安全と福祉に耳を傾けるようになり、口約束だけでなく、実際に約束を行動で示したのでした。
 
 この作品「GEMPA 地震」は、ジョグジャの人々が送る現実の生活を描写するところからスタートします。地震の前日、ジョグジャの田舎はいつも通り 静かで、人々は自然に気を配って生活しています。朝には、多くの小鳥のさえずりが聞こえるのです。作品の登場人物であるシティとその家族は、町を構成す る様々な種類の仕事や社会的背景のひとつを代表しています。太陽が暖かさをもたらし、ジョグジャの町はゆっくりと活動を始めます。メロディが街角の様々 な様子を描写します。陽が昇り、情景が移ろっていきます。

 夕暮れになると、喧噪が去り、辺りが暗くなります。明日の仕事のことを考える者もいるだろうし、祈りを捧げる者もいるでしょう。 余暇に興じる者もいれば、村の平穏を守ろうと、夜まわりに務める者もいるでしょう。まだ、誰も翌日に何が起こるにかは知らないのです。夜半に風が吹き、 木々の葉が揺れ、音を立てます。警告を発しているようですが、耳はひんやりとした空気に閉ざされ、身体は仕事に疲れ、気づく者はいません。人々は眠い目 で何も見ることができず、夜の残りを惜しむように、毛布にくるまって寝ています。

 遠く、大地の中では、巨大な力を見せつけるための準備が始めり、音を轟かせています。遠く、人間が暮らしている地表からとても遠い地底で、人間の感覚 や目や耳では感じられない音が響いているのです。自然の猛烈な情動が長い時を経て、巨大なエネルギーへと増大しているのでしょう。その朝、インドネシア 西部時間の午前5時55分、巨大な自然の力によって、ジョグジャカルタは突然、揺り起こされたのでした。

 シティと二人の両親はこれまで何の変哲もない人生を歩んでいました。その朝も、彼女はすでに起きて、家事を行っていました。父親は田んぼへ出、母親は 行商をしに、市場へ出かけていました。幸い、彼女は隣近所の人たちと共に、なんとか難を逃れました。けれども、かわいい妹たちは家の下敷きになり、死ん でしまいました。シティは体中の力を振り絞って、妹たちの遺体を掘り起こし、抱き続けました。しかし、周りの人達は、結局は訪れなかった津波から逃れる ために、慌てて逃げ去ったのでした。逃げ出さなかったシティや彼女の叔父の姿は、この厳しい状況の中に垣間見えた、誠実な人間性の一コマだったかもしれ
ません。普段では、決して顧みられることがない小さな命の姿だと言えるでしょう。

 あるいは、その後に差しのべられた日本など、外国からの支援にも、人間の誠実な姿を見ることができるかもしれません。そもそも、思いやり、友情といっ たものは、神が人間に課したひとつの義務なのです。悲しい歴史を持ち、未だにその傷跡が残るにも関わらず、インドネシアと日本の間に見られるシティとマ ナミのような厚い信頼関係は、大いに評価されるべきでしょう。実際、震災後、ジョグジャカルタの惨状の中で、日本は先進国として、友好的な支援をし続け ました。

 わたしはこの作品を、2006年のジョグジャでの地震による犠牲者、1995年の神戸での地震による犠牲者、そしてそれらの災害時に、数千数百万の被 災者のために、自らの時間、労力、財産、知恵を差し伸べた人々に対して、を捧げたいと思います。また同時に、この作品が、次世代の人たちに警鐘を鳴らす 記念碑になること、そして地球上の人類が安全に暮らし、将来、科学の進歩が地震というこの神秘的な自然現象を解明する、ひとつのきっかけになることを 願っています。

訳:佐久間新

 

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