プロジェクト活動報告

●ジャワ中部地震 復興支援チャリティコンサート イン 生野
 報告者 中川真

ジャワ中部地震 復興支援チャリティコンサート イン 生野
日時:平成18年8月6日(日)午後2時開演(1時30分開場)
場所:生野区民センターホール(大阪市生野区勝山北3-13-30)
〜プログラム〜
 一部 「こころのふるさと、ジョクジャカルタの風景と被災」
     報告 中川真(大阪市立大学大学院教授)
 二部 「コンサート」
     ジャワの伝統音楽と舞踊
     みんなで楽しもう、インドネシアの歌と踊り
     出演 ラグラグ会、ボーカルマニス、支援ガムラン・バンド
主催:生野区人権啓発推進員連絡会
後援:生野区役所、生野区人権啓発推進会、インドネシア総領事館
協力:関西インドネシア友好協会
監修:「ガムランを救え!」プロジェクト(代表 中川真)

「ガムランを救え」プロジェクトのメンバーである関イ連の増田さんを通じて、蔦谷さんから連絡があったのが、6月中旬でした。生野区のガールスカウトの世話をなさっている浮田さんを通じて打診したところ、生野区の人権啓発推進員連絡会のみなさんが、「ガムランを救え」プロジェクトに賛同し、チャリティコンサートを開こうと言ってくださっているということでした。生野区役所も全面的に応援するというので、すごいことになりそうだという予感がして、すぐにでも生野区に行きたかったのですが、6月19日〜25日に被災現地のジョクジャカルタとバントゥルに駆けつけることになっていて、しばらくは断念。帰国後に増田さん、蔦谷さんと会って、打合せをした後、6月30日に初めて生野区役所に出向きました。区民企画室で、人権生涯学習担当課長の島田さん、係長の井上さん、人権啓発推進員連絡会長の中谷さん他がおられ、さっそく説明を行って、8月6日のコンサートに向け、具体的な動きが開始しました。そして、つぎの月曜日(7月3日)に連絡会の会合を行うということで、私が説明に赴きました。

 会合には40〜50名の方々がお集まりだったでしょうか。チャリティコンサートへの熱意がひしひしと感じられる会合で、身の引き締まる思いがしました。震災後ようやく1ヶ月が経ったところで、現地ではまだまだ住居や薬など基本的な生活資材が欠いていることを承知してしましたが、私はあえて「ガムランを救え」と言っていたのです。基本的な生活基盤を支援するのならともかく、なぜ音楽や舞踊といった文化基盤なのでしょうか? これをきちんと説明しないことには、このイベントが上滑りになるのではないかと思いました。ジョクジャカルタに行ったときに気づいたのですが、多くの音楽家や美術家が、特にトラウマが心配される子供たちのために、ワークショップやコンサートを始めていました。やっている方のアーティスト自身も大きな被災を受けて、なかには家を失った人もいましたが、子供たちのために活動を開始していました。子供たちにも、ようやく笑顔が戻りつつありました。そのとき思ったのは、こういった文化は「心の薬」になるんだなということです。私は、毛布や水、薬、テントなどとともに、こういうものも届けられてこそ、ジャワの人々の日常生活が取り戻せるのではないかと思いました。音楽や舞踊は二の次ではなく、同時に届けられるべきだと。もちろん、目の前で苦しんでいる人がいれば、最初になすことは、病院に運んだり、薬や水を届けることでしょう。それは常識です。しかし、それとともに文化もまた届けられるべきではないかと思ったのです。そういう届け物も「人道的支援」のひとつであると、私は生野区の会合のときに強調しました。これは分かっていただけたのではないかと思います。6日当日のみなさんの頑張り具合を思い起こせば、確信をもっていえます。

 さて、7月に入って準備は1ヶ月を残すところとなりました。推進員の方々、生野区役所の職員さんが、どのような活動を具体的になさっていただいたのかは、詳しくは存じ上げないのですが、ポスター貼りをはじめとする広報に尽力していただいたと思います。係長の井上さんに月末に電話をしたところ、区役所内での募金を始めたら、すでに10万円近く集まったという報告もいただきました。生野区は特に在日外国人の居住密度が高いところです。それだけに、人権に関する感覚も鋭く、また遠い地で被災に遭っている人々への想像力も豊かに働くのでしょうか。最初は、正直いって、「なんで生野区?」と思ったのですが、だんだん「生野区だからこそ」と思い始めていました。

 今回のチャリティコンサートの出演者は、ボーカルマニス、ラグラグ会大阪、ガムラン支援バンドでした。前2者はすでにご存じの方もありますが、ガムラン支援バンドというのは耳慣れない名前です。これは、主に関西にて活動するいくつかのガムラン・グループのなかから自発的に参加してくれる音楽家によって結成された、「ガムランを救え」のための臨時のアンサンブルです。7月22日には奈良市のたんぽぽの家で震災支援のチャリティイベントが行われ、そのときに演奏したのが第1弾です。今回の生野区が第2弾です。その編成でも、興味深いことが実現しました。「ガムランを救え」のホームページを見て、ジャカルタ在住の日本人女性より7月にメールが入ってきたのです。「ちょうど、8月初旬に日本に一時帰国するので、生野区のコンサートを見に行きたい」と。メールのやりとりをしていくうちに、彼女はジャカルタでガムランを習っていることが分かりました。だったら、出演してくださいよということになり、彼女は5日に関空に着き、6日の朝のリハーサルから合流したのです。実は、この震災があるまでは、関西のガムラン・グループはそれぞれ独自に活動していて、一緒にやるなんてことは考えてもいませんでしたが、これを機に、一気に交流が始まったのです。これもまた、音楽家という視点からすれば刺激的でありがたいことでした。

 当日は快晴・・というか、めちゃくちゃ暑い日でした。ジャワより暑いですね。午前9時半に区民センターに集合。楽器も到着して、リハーサルに向けての準備が始まりました。すでに連絡員の方々も大勢集まってします。聴衆との交流を深めたいということで、島田さんや井上さんの発案により、聴衆を見下ろす舞台は使わず、同じフロアに楽器を並べ、客席は馬蹄形としました。そのために照明などに苦労をかけましたが、センター長自らが危険なキャットウォークを歩いて、ホールサイドにある照明器具の調整などもしていただきました。

 リハーサルは順調に進み、あとはお客さんを待つのみとなりました。ここが一番心配だったのです。しかし杞憂に終わりました。1時過ぎからぞくぞくお客さんは入場、すぐに補助椅子を出すこととなったのです。私は正確な数を把握していませんが、250名以上は来られたのではないでしょうか。

 チャリティコンサートは午後2時にスタート。まず連絡会会長の中谷芳也、生野区長の田部邦光氏、インドネシア総領事館からピトノ・プロノモ氏(代理エリザ氏)の挨拶があり、私が「こころのふるさと、ジョクジャカルタの風景と被災」と題する報告をしました。パワーポイントで震災前の平和で和やかな風景、震災後の緊迫した風景のスライドを見ていただきながら、ラグラグ会大阪とボーカルマニスに合同合唱(ブンガワン・ソロ他)を4曲お願いしました。歌は私たちの心に直接響きます。ジャワの光景のなかで、歌はとても大切なものです。合唱は、インドネシアの歌をずっと続けてられたグループだけあって、渋くて味わいのあるものでした。蔦谷さんが指揮をとられていて少しびっくり。やはり、人を束ねる素質をお持ちなんですね。

 その後はガムラン支援バンドの演奏です。20名の演奏者、舞踊家がまさに心をひとつにして演奏を始めました。なにしろ、臨時編成のグループです。全員が揃ったのは午前のリハーサルが初めて。心をひとつにするしかありません。

【曲目】
1.Gendhing bonang “Okrak Okrak” slendro manyura
 (グンディン・ボナン「オクラッ・オクラッ」スレンドロ音階マニュロ調)
2.Ladrang “Tirta Kencana” pelog nem
 (ラドラン「ティルト・クンチョノ」ペロッグ音階ヌム調)
3.みんなで楽しもう、インドネシアの音楽と踊り
 (楽器紹介、踊りのミニワークショップ等)
4.Golek “Ayun Ayun” (Ladrang “Ayun Ayun” pelog nem)
 (ゴレッ「アユン・アユン」:ラドラン「アユン・アユン」ペロッグ・ヌム調)
5.Klana Alus “Jungkung Mardeya” (Ladrang “Cangklek” slendro manyura)
 (クロノ・アルス「ジュンクン・マルドゥヨ」:ラドラン「チャンクレッ」スレンドロ・マニュロ調)

 器楽曲だけの前半から熱心に聴いていただき、休憩のときにはガールスカウトのみなさんが、客席を回って寄付金を集めてくださいました。その後のガムラン・ワークショップでは、一緒に多数のみなさんに踊っていただきました。これもまた生野区ならではのノリでしょうね。後半は、ジョクジャカルタ出身のウィヤンタリさんと、ジョクジャカルタに4年間留学していた采女さんの、気合いのこもったジャワ舞踊が披露され、4時にコンサートが終わりました。

 長かった1日の終わりです。義援金が254740円集まったという報告を受けました。目標をはるかに上回る額です。「ガムランを救え」プロジェクトは感謝をもって、これをいただきました。

 ひと言でいって大成功でした。本当にたくさんの人々の協力の賜です。聴衆の方々にもまた、ジャワにはこんな音楽や舞踊があり、それが人々を救うひとつの端緒になることを、知っていただけたのではないかと思います。

 みなさん、ありがとうございました。有効に使わせていただきます。また、その説明責任は果たしてゆく所存ですので、ときどき「ガムランを救え」のホームページを覗いてください。ジャワでの本格的な援助活動は9月に始まります。日本で集まった義援金が投入されます。今後は息切れを起こさないよう、支援プロジェクトの体力を勘案しながら着実に成果をあげてゆきたいと考えています。(中川真)

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